別れと成長

喪主(兄)の挨拶
三回忌の法要はしないつもりでいました。
”何もしなくていい”父が夢枕で告げましたので。
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ほんと?
お父さんは寂しがり屋だよ。
作り話じゃないよね?
6月12日 塩山で父の三回忌。
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8人きょうだいの末っ子の父。
この世で手を合わせてくれる姉さんは、今や二人。
可愛い可愛い末っ子。
七回忌まではやってあげてちょうだいね 
そんな願いは私の耳にも入っていた。
母も、
せめて三回忌までは、きちんとしたい と言っていた。
ひとり遺された母の意志にできうる限り添うこと。
私は、それが、一番の父の供養になる、と思うのだ…
だから、ね、
兄よ。あの ひとこと は、いらなかったんじゃない?
まっ 
いっか
無事おわりました。
偲ぶ心は、兄も私も同じでしょう。
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法要の間、
ビトは、クレートで、大人しく留守番していてくれました。
心配でしたが、信頼していました。
通夜の晩も、とてもとても、いい子でしたから。
通夜は、
自宅でとり行いましたので、
ビトの待機場所が問題でした。
山梨の家(実家)は、実家とはいえ、母しゃんの生家ではありません。
父がリタイアして横浜の家を手放し、
小田原に移り、
突発的に、相談もなく山梨に越してしまったのです。
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2006,8,O5 脳梗塞で入院、ビトと初対面
温泉街の小さな平屋。
夫婦二人が住むには十分な広さでしたが、通夜に親族が集まるには、狭すぎます。
客間には父(遺体)が眠っていますからビトが居るのは不謹慎と思われ、
寝室は西日で猛烈に暑く荷物でごったがえし…
必然的に、ビトは通夜の席(リビング)の片隅で待機することに。
気配を消してよいこでいてくれました。
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2006,退院後、自宅にて。
この後、脳梗塞と糖尿の治療で定期的に病院にて検査と治療を受けていましたが
2008年4月に吐血し救急車で運ばれたときは、肺癌の末期でした。

2008年4月の末に父が倒れてから、
私は一人で山梨に向かい、家をよく空けました。
母しゃんの不在は、ビトを大人にしたようです。
週末に中央道をとばし、
オッサンとVITOは、
こうして病院の売店脇のテラスで時間を潰してくれました。
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真っ暗闇の野っ原に置き去りにしても我関せずだったVITO君が、
いつしか
ビトチチの声に耳を傾けるようになり、
母しゃんの姿を探してくれるようになっていました。
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検査やリハビリで父が病室を空けるときは、
二人と一匹は
フラリとお散歩に出かけました。
おとなしくしていられます。
テラスいいですか?
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無理を言いました。
急なお願いに大慌てでパラソルを設えて下さりありがとうございました。
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父さんと桃の花見の帰りに見つけた店…
あのとき来れればよかったな
桃源郷、お父さん、歩くの苦しそうだったね
既に手がつけられないほど癌細胞が体を蝕んでいたんだね
雨はきらい。
しめった匂いが憂鬱。
それなのに、
お父さんが逝った、あの頃あの日々を思い出すと、
何もかもが爽やかで眩しいです。
父親が逝ってしまったというのに輝かしいのです。
めちゃくちゃなひとだったけど、
よいことしか、思い出せません。
立派な最期をありがとう。
”何もしなくていい ”
ほんとうに?
会いに寄るときは、いつも滝沢牧場(ルアーコーシング)のついでだったね。
”中央道が混むから”の一言で、もともと、あまり山梨に寄り付かない。
この ばかたれ には、 なにかない?
これまで いちども 夢にも来なかったね
今日は 父の命日。
雨があがりました。
そろそろ散歩に出かけます。
お父さん元気ですか?
ビトはいいこになりました。
あなたの娘は 相変わらず です。
それでも、元気にくらしています。
記 VITOの母しゃん

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